グラバー園 アイキャッチ画像
旧グラバー邸 園庭

名称: グラバー園(ぐらばーえん)
往訪日時: 平成20年8月17日(日)15時ごろ / 2008年
住所: 長崎県長崎市南山手町8番1号(〒850-0931)Google Map で見る
電話: 095-822-8223
最寄り駅: 長崎電気軌道5号系統「石橋駅」下車、 徒歩7分
駐車場: なし
営業時間: 8:00~18:00(受付は20分前迄) 年中無休
入場料: 大人: 620円 / 高校生: 310円 / 小中学生: 180円 ※団体(15名以上)・減免料金あり
撮影: (園の指示に従ってください)
公式サイト: グラバー園 公式ウェブサイト
参照サイト: ながさき旅ネット / Wikipedia

↓ ↓ ↓ グラバー園 オフィシャルSNS ↓ ↓ ↓

長崎を旅行した当時(2008年)、スマートフォンも無くガラケーで撮影しましたが、写真画像の解像度も低くとても見られたものではありませんが、写真付きで紹介していきます。グラバー園の印象はとても強く、園内で様々な史跡を見ることが出来ました。夜は長崎の夜景を一望でき、デートスポットにはもってこいの場所だと聞きます。好きな方と一緒に来られるといいですね。それでは紹介していきます。

グラバー園には表玄関と裏玄関があり、お勧めは「裏玄関」から入る事です。何故なら園は傾斜地にあり、かなりの高低差があるので下って行くのが楽。それと初め長崎湾を一望すると印象に残るからです。

「第2ゲート」への行き方は、長崎電気軌道5号系統「石橋駅」で下車、大浦石橋通りを少し歩き、「グラバースカイロード」(もの凄く長いエスカレーター)で急傾斜を上がって行きます。降りるとそばに「大浦展望公園」があり、長崎湾内を一望できます。ようやくグラバー園の「裏玄関」に到着するわけですが、”リンガー通り”と呼ばれる道の角に裏玄関「第2ゲート」があります。入口右に「GLOVER GARDEN MAP」の立て看板があるので、おおよその配置を見ておくと良いかもしれません。(入場ゲートでマップ貰えますけどね 笑)今から紹介するのは私が辿った順路です。

さて入場…

グラバー園入口(第2ゲート)石柱

居留地境石柱

居留地境石柱の画像
居留地境石柱

今で言う土地と土地の間に埋められている境界柱と同じものです。日本人と外国人の居留地の境に立てられていたそうです。写真の右側奥に置かれているのは当時三菱が船で使用していた錨(いかり・Stock Anchor)です。

旧三菱第2ドッグハウス

旧三菱第二ドッグハウスの画像
旧三菱第二ドッグハウス

明治29年(1896)に三菱重工長崎造船所第二船渠建造に伴い、その修繕所の傍らに建築されました。この洋館は木造2階建てで、明治期建築の典型的なスタイルです。修繕外国船乗組員の休憩宿泊施設として利用されていました。昭和47年(1972)この地に移築復元。館内ではグラバー園の歴史や園を紹介する動画も上映されています。

旧三菱第二ドッグハウスの池 画像
旧三菱第二ドッグハウス前の池

建物の前には池があり多くの鯉が泳いでいます。クラバー園の最上部にあたり、長崎湾を一望でき眺望絶佳です。

歴史の泉

歴史の泉(右側)

歴史の泉は、長崎開港を象徴する船の錨(いかり)と船窓がかたどったモニュメントです。

歴史の泉(左側)

有田焼陶板モザイクで出来ています。

旧長崎高商表門衛所

旧長崎高商表門衛所は、明治38年(1905)に創立した長崎高等商業学校(現 長崎大学経済学部)の表門の傍らに建てられていた門衛所(守衛(門番)さんのいる詰所)です。モダン装飾と障子の間との和洋折衷造り。昭和51年(1976)に移築復元されました。日本で最初期に設立された官立高等商業学校です。

旧ウォーカー邸宅

旧ウォーカー邸宅

旧ウォーカー住宅は、ウォーカー商会を設立したロバート・N・ウォーカーJrの旧邸です。

もとは明治中期に大浦天主堂のそばに建てられ、大正4年(1915)に購入、亡くなるまで居住していました。その後、昭和49年(1974)にグラバー園に移築されました。

旧長崎地方裁判所長官舎

旧長崎地方裁判所長官舎

旧長崎地方裁判所長官舎は、明治16年(1883)3月に長崎控訴裁判所(現高等裁判所)の官舎として八百屋町1番地(現、長崎市上町4番21号)建てられました。

明治時代の西欧化を反映した貴重な官庁建築のひとつとして、昭和54年(1979)に現在地に移築し復元しました。原爆の爆風にも耐え、居留地外の市街地に建てられた洋風の官庁建築として唯一残る貴重な建物です。現在、建物はレトロ写真館として利用されています。

祈りの泉

祈りの泉

グラバー園 祈りの泉は、キリシタン迫害による隠れキリシタンの苦悩と救いを表したものであり、長崎の哀しい歴史と祈りが表現されています。

旧リンガー住宅

旧リンガー住宅

グラバー商会に勤め、ホーム・リンガー商会を設立したフレデリック・リンガーの旧邸。明治から昭和にかけて住んでいた。石造りの洋風住宅で重厚な中に優美さが漂っている。

リンガー氏が行った事業は数知れず、中国茶の熟練検査官、製茶業、製粉業、石油備蓄、発電、貿易事業、各国商社代理業務、ナガサキプレス刊行、捕鯨業、トロール漁業、上水道敷設、北欧国などの名誉領事、長崎の国際交流など。

旧オルト住宅

旧オルト住宅

旧オルト住宅は慶応元(1865)年に建てられ、ウィリアム・ジョン・オルトが3年間住んでいました。石造円柱が列ぶベランダの中央に妻切屋根のポーチがあり、軒高の堂々たる偉容を誇る幕末明治洋風建築の中でも出色の建築。

オルト氏は安政6(1859)年に来日、オルト商会を設立して、貿易商として製茶業、居留地自治会の初代役員、商工会議所で初代議長など実業家として活躍しました。

旧スチイル記念学校

旧スチイル記念学校

旧スチイル記念学校は、明治20年(1887)に東山手9番地の旧英国領事館跡に建てられたスチイル記念学校の校舎です。

ダッチ・レフォームド教会の外国伝道局長であったスチイル博士が、18歳で亡くなった息子のウィリアム・ヘンリーを記念するために寄贈した資金により開設された学校。初代校長のアルバート・オルトマンス牧師が校舎建設を指導。

昭和47(1972)年に海星学園より寄贈され、移築復元しました。


作成中につき、投稿は続く…

旧グラバー邸

旧グラバー邸(左側から)

旧グラバー邸は、トーマス・ブレーク・グラバーが文久3年(1863)から住んでいた日本最古の木造洋風建築物です。貿易商だった彼は「グラバー商会」を設立し、日本再建と近代化に尽力貢献しました。主に茶、特産物、武器、艦船等を取り扱い、加え造船、炭鉱、水産、鉄鋼、造幣、ビール産業の分野を開拓。明治元年(1868)には小菅町に近代式修舟場を設け、翌年には高島炭坑を開設する等、多岐に渡って手腕を発揮。また日本を発展させる為に日本人を海外へ送る斡旋もしていました。初代内閣総理大臣の伊藤博文もその一人です。兎に角、一言でいうとグラバー氏は「超人」と言えるでしょう。

トーマス・ブレーク・グラバー之像

トーマス・ブレーク・グラバー之像

グラバー像は旧グラバー邸の傍らに立っています。昭和36年(1961)10月に長崎市の依頼により、長崎県長崎市出身の彫刻家の富永良雄によって製作されたブロンズ像です。

【参考】グラバー園 入口

グラバー園 入口

この洋風アーチが見えて来たらグラバー園表門(第1ゲート)への入口です。正式な園入口はこの坂の上にあります。ここから石畳が続いて行きます。